梅子の手帖

ツボったとこだけ記録するブログ。

街道をゆく 13

玄界灘ですから荒れると思います。

 

対馬出身のA。20年間、同い年だと思い込んでた司馬遼太郎

 

壱岐、伊伎、雪。

 

考古学者というのはたれでも自分の中に古代人を養っている。

 

大名や武士が私有の農場をもつということがなかった点は、近代国家成立以前のヨーロッパや革命前のロシアの貴族たちと異なっている。

 

タバル、壱岐では水田のある野の意。

 

「村」ではなく「触(ふれ)」とよぶ壱岐。全国でもここだけ。

 

禹(う)さんの漢字の説明の仕方(笑)。わたしの本名も電話だと伝わりにくい*1

 

河合曾良の墓。壱岐にあるのね。

 

秘書の才能があった曾良

 

「アノデスネ」「ソレデデスネ」。九州方言。そうなの!?逆に関西とかで、知らない人に「〇〇はね」とか「アレはね」って言われるとタメ口みたいでびっくりする(笑)。

 

須田さんは呪術的で力強い縄文土器がお好き。

 

おっとりの壱岐。激しい対馬。車の話。今もかな?

 

農業は投機のようなもの。基本的には人間が製作するのではなく、自然が稲や麦を伸ばしていく。

 

農業の壱岐、漁業の対馬

 

雨森芳洲新井白石は不仲。

 

鎌倉になって武家政治が出現すると、統治学としての儒学はおとろえた。鎌倉から戦国にかけて、儒学禅宗が維持した。

 

木下順庵。新井白石の師匠。

 

対馬へ蒙古軍がやってきたのは1274年10月5日の午後4時ごろ。

 

須田さん、壱岐からの船では酔わなかったのに。山登りで背負ってるバッグで揺られて酔う(笑)。

 

木綿の栽培は江戸期に入ってから。植えて糸を取り出して紡ぐというめんどくさい作業が普及しtのは江戸中期。

 

食堂のおばあさんの入れ歯がうらやましい遼太郎(笑)。

 

 

ありの~ままの~♪

 

*1:キラキラネームじゃないよ!