玄界灘ですから荒れると思います。
壱岐、伊伎、雪。
考古学者というのはたれでも自分の中に古代人を養っている。
大名や武士が私有の農場をもつということがなかった点は、近代国家成立以前のヨーロッパや革命前のロシアの貴族たちと異なっている。
タバル、壱岐では水田のある野の意。
「村」ではなく「触(ふれ)」とよぶ壱岐。全国でもここだけ。
禹(う)さんの漢字の説明の仕方(笑)。わたしの本名も電話だと伝わりにくい*1。
秘書の才能があった曾良。
「アノデスネ」「ソレデデスネ」。九州方言。そうなの!?逆に関西とかで、知らない人に「〇〇はね」とか「アレはね」って言われるとタメ口みたいでびっくりする(笑)。
須田さんは呪術的で力強い縄文土器がお好き。
農業は投機のようなもの。基本的には人間が製作するのではなく、自然が稲や麦を伸ばしていく。
鎌倉になって武家政治が出現すると、統治学としての儒学はおとろえた。鎌倉から戦国にかけて、儒学は禅宗が維持した。
木下順庵。新井白石の師匠。
対馬へ蒙古軍がやってきたのは1274年10月5日の午後4時ごろ。
須田さん、壱岐からの船では酔わなかったのに。山登りで背負ってるバッグで揺られて酔う(笑)。
木綿の栽培は江戸期に入ってから。植えて糸を取り出して紡ぐというめんどくさい作業が普及しtのは江戸中期。
食堂のおばあさんの入れ歯がうらやましい遼太郎(笑)。
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ありの~ままの~♪
*1:キラキラネームじゃないよ!



