善人なおもて往生をとく。いかにいわんや悪人をや。
いきなりのこの本の成り立ちから語る吉川英治。
源氏一門の落ちぶれた家に生まれた一八公麿(まつまろ)、後の親鸞。
疑わずにまずは念仏を唱えろ、が法然の自論。浄土の幸は人に強いるものではない。
親鸞の母親が頼朝といとこというエンタメ設定。
文覚は進んで地獄の炎を浴びようと願うタイプ。
一八公麿、なかなかしゃべりが遅いと思ったら、初めて出た言葉が南無阿弥陀仏。
子は母の鏡。自分たちの為すことをすぐに映す。
寿童丸、平家一門の子でブイブイ言わせてる。一生親鸞につきまとう。
双六のさいと山法師だけはどうにもならない後白河法皇。
曲者さんにも優しい一八公麿。
9歳になった一八公麿、才能にますます磨きがかかって、かえって不安になる大人たち。
仏像焼きまくったのにいざという時に仏に祈る平家たち。
嫉妬は女を炎にする。その迷いから出ると不憫なほどに真実の姿に戻り、浄化される。
一八公麿、範宴(はんえん)に名前を変える。
修験者と僧侶は同じ仏法を基にしながらも、見かけから解釈まで何もかも違って仲が悪い。特に山伏は質が悪い。
範宴は聖徳太子の大ファン。
決死の覚悟で玉日姫を振る範宴。
武士はいつも政治について疑問を持つ。公卿はいつもなるべく今のまま安易でいたい。農民は天皇の宝と言われながらも、権力の興亡に無関係なので幕府が滅亡しようと今日明日の天気程度にしか思わない。
法然と話して生まれ変わって範宴、綽空(しゃくくう)と名を変える。
綽空の結婚、意外にもみんな応援してくれる。
綽空からまた名を変え、善信(ぜんしん)に。
往生とは、往きて生きん。人生への高い希望と強い向上の欲求。
法然は一に念仏、二に念仏。
集団で南無阿弥陀仏唱えてうっかり笑いそうになる松虫と鈴虫。なんかリアルだわ。
善人よりも悪人の方が人間の本質に近く、善人になる伸びしろがある。善人の善性より、悪人の善性の方が仏の道により早くたどり着ける。
「人を呪詛するのはやめろ。良い事はしなくてもそれだけでも自分が楽になるから。」四郎の口からそんな言葉が出るとは。
追放されて親鸞と名を改める。どんな修羅場でも心乱されない親鸞。
「春は苦しいものですね。」石年、若い血が暴れだす。
文化も遅れて精神的にもかさかさしている民衆には親鸞の声は寝言に聞こえる。
模範になろうと再婚決意する親鸞。
親鸞は一人じゃない、いつでも御仏と二人。
真面目な歴史小説かと思えばエンタメのほうが強かったかも。親鸞も肉食妻帯の破天荒なお坊さんかと思ったけど、この本ではとにかく愛情深い人だった。