ただ南無阿弥陀仏ととなえればよいのです。
平氏を滅ぼし、とうとう源氏の世になった源頼朝。手柄を取った弟義経は法皇の言うことばっかり聞くから、疎ましい頼朝。
奈良の東大寺、平氏に焼き討ちされた大仏の再建が重源らによって完成し、開眼供養。
義経、少年時代にお世話になった奥州藤原氏の元へ助けを願い出るも裏切られ、殺される。
その藤原泰衡も頼朝軍により制圧される。
頼朝、落馬により絶命。跡継ぎの頼家は若年でワガママ。家臣たち13人で合議制をすることに。
頼家、病に倒れ、母政子によって出家させられる。
1203年、奈良、東大寺南大門の二王像が運慶、快慶によって完成。
頼家、伊豆の修善寺で暗殺される。
朝廷と仲良くなり、スピード出世の源実朝。1219年、鶴岡八幡宮にて頼家の息子公暁に暗殺される。いよいよもって北条氏の天下に。
摂関家である九条家から来たわずか二歳の三寅を将軍に、政子が後継人となり尼将軍として実権を握る。
藤原秀康ら上皇側が幕府軍に負け、後鳥羽上皇らは流罪に。承久の乱。
北条義時の息子、泰時により御成敗式目完成。はじめての武士の法律。
1201年、京都六角堂、悩める親鸞は聖徳太子のお告げを受け、法然に会いに行く。法然の教えはただひたすら南無阿弥陀仏と唱えること。ひたすら阿弥陀仏に救いを求めれば、浄土に行けるという教え。
法然の教えで悪さをする人が増え、法然や親鸞が流罪に。親鸞は仏の教えに反して、所帯を持つ。
1223年、明全、道元、禅の修行をしに宋へ渡る。道元、延暦寺の荒れっぷりに世の無常を感じるも、念仏は唱える気にならない。
道元、宋の天童山にて座禅、問答の修行を繰り返し、真の禅宗は名利を考えずにひたすら座禅にうちこむことだと悟る。
1274年、蒙古襲来。度重なる国書という脅迫を無視し続けてきた結果。竹崎季長奮闘。嵐が来て蒙古撃退。文永の役。
また蒙古から死者が来るも殺害。襲来に向けて博多湾に防塁を築く。