わしの望みは、尾張一国などではないぞ。
北条早雲、元の名は伊勢新九郎。薬をほどこし、年貢を軽くし、民衆から人気も高い。
毛利元就、異母弟の元綱が尼子氏と手を組んだので、大内氏と手を組むことに。
長男毛利隆元(大内氏へ人質)、次男元春(吉川家に養子)、隆景(小早川家に養子)。
大内氏が陶晴賢(すえはるかた)に敗れ、あとは一気に尼子を攻めるだけの毛利。
石見銀山を手に入れた元就、財源ゲットで尼子氏も倒す。
1543年、種子島に鉄砲伝来。ねじの仕組みもはじめて知った日本人。
1549年、ザビエル渡日。
欲に目がくらんでいる日本の僧にくらべて、質素でやさしい伴天連に惹かれ、キリスト教に興味がわいてくる民衆。
天皇に力がないことを見抜き、大名に直接かけあうザビエル。大内義隆、大友義鎮(よししげ、のちの宗麟)かなどから布教の許可をもらう。
1582年、イエズス会の巡察師バリニャーノが大友、有馬、大村の大名たちのかわりに少年をローマ法王やポルトガル国王に合わせようと考える。天正遣欧少年使節、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中原ジュリアン。
1547年、甲州法度之次第または信玄家宝とよばれる法律。喧嘩両成敗、家臣同士で密かに仲間をつくってはいけない、などなど。
甲斐の武田晴信の娘は北条氏政に、相模の北条氏康の娘は今川氏真に、駿河の今川義元の娘は武田義信に。
景虎、上杉憲政の管領職と上杉家を継ぎ、上杉政虎となる。その後輝虎、謙信と名前が変わる。
1553年第一次川中島の戦い。長尾景虎と武田晴信。計5回、川中島で戦ったけど、いちばん激しかったのは1561年の4回目。
1559年、武田晴信出家して信玄に。
武田信玄のキツツキ戦法。反対からつっついて、驚かせる。
信玄と謙信の一騎打ち。創作説もあり。
1573年、信玄53歳、病で死去。死後3年は影武者立てて、自分の死を隠してほしい。
1578年、謙信49歳、病で急死。
1551年、尾張の織田信秀の葬儀で息子信長は抹香を位牌に投げつける。
奇行はなおらず、守役の平手政秀が嘆いて自害。うつけのふりしてただけなのに…と信長、政秀寺を建てて弔う。
斎藤道三、息子の義龍に殺される。
織田信長、弟の信行を殺し、同族の織田信賢も討って、尾張を統一。
1560年、油断して進軍する今川義元。奇襲攻撃する信長。桶狭間の戦い。ほんとの場所はちょっと離れた田楽狭間。
今川の人質だった松平元康(のちの徳川家康)、今川義元に参陣してたけどなんとか岡崎城に逃げる。
1562年、お互いの勢力がぶつからないように信長と元康は清州同盟を結ぶ。
1564年、信長の妹市、浅井長政に嫁ぐ。遠交近攻。遠い国とは婚姻で手を組み、近くの国を攻める。
美濃を攻めるのに墨俣に城が必要。短期間で墨俣城を築いた木下藤吉郎がそのまま城主に。
稲葉山城に入城した信長、井之口の町名を岐阜に。中国の故事から、天下のもととなる町、という意。
1565年、すでに力がなかった13代将軍、足利義輝、家臣の松永久秀、三好義継らに殺される。
義輝弟の義昭、なんとしても将軍になるべく戦国大名に御内書を書きまくる。
なかなか将軍になれないまま、義栄(よしひで)が14代将軍に。
信長が義昭に助け舟を出す。