学習まんが 少年少女日本の歴史 10 戦国大名の争い

わしの望みは、尾張一国などではないぞ。

 

1495年、大森藤頼を敗り、北条早雲小田原城を落とす。

 

北条早雲、元の名は伊勢新九郎。薬をほどこし、年貢を軽くし、民衆から人気も高い。

 

毛利元就、異母弟の元綱が尼子氏と手を組んだので、大内氏と手を組むことに。

 

長男毛利隆元大内氏へ人質)、次男元春(吉川家に養子)、隆景(小早川家に養子)。

 

大内氏陶晴賢(すえはるかた)に敗れ、あとは一気に尼子を攻めるだけの毛利。

 

石見銀山を手に入れた元就、財源ゲットで尼子氏も倒す。

 

1543年、種子島に鉄砲伝来。ねじの仕組みもはじめて知った日本人。

 

1549年、ザビエル渡日。

 

欲に目がくらんでいる日本の僧にくらべて、質素でやさしい伴天連に惹かれ、キリスト教に興味がわいてくる民衆。

 

天皇に力がないことを見抜き、大名に直接かけあうザビエル。大内義隆、大友義鎮(よししげ、のちの宗麟)かなどから布教の許可をもらう。

 

1582年、イエズス会の巡察師バリニャーノが大友、有馬、大村の大名たちのかわりに少年をローマ法王ポルトガル国王に合わせようと考える。天正遣欧少年使節伊東マンショ千々石ミゲル原マルチノ、中原ジュリアン。

 

1541年、父武田信虎を追い出した武田晴信(のちの信玄)。

 

1547年、甲州法度之次第または信玄家宝とよばれる法律。喧嘩両成敗、家臣同士で密かに仲間をつくってはいけない、などなど。

 

甲斐の武田晴信の娘は北条氏政に、相模の北条氏康の娘は今川氏真に、駿河今川義元の娘は武田義信に。

 

長尾景虎、兄春景が病弱なため家督を継ぐ。

 

景虎上杉憲政管領職と上杉家を継ぎ、上杉政虎となる。その後輝虎、謙信と名前が変わる。

 

1553年第一次川中島の戦い長尾景虎武田晴信。計5回、川中島で戦ったけど、いちばん激しかったのは1561年の4回目。

 

1559年、武田晴信出家して信玄に。

 

毘沙門天上杉謙信風林火山武田信玄

 

武田信玄のキツツキ戦法。反対からつっついて、驚かせる。

 

信玄と謙信の一騎打ち。創作説もあり。

 

1572年、信玄が遠江で家康を敗る。三方ヶ原の戦い

 

1573年、信玄53歳、病で死去。死後3年は影武者立てて、自分の死を隠してほしい。

 

1578年、謙信49歳、病で急死。

 

1551年、尾張織田信秀の葬儀で息子信長は抹香を位牌に投げつける。

 

斎藤道三の娘の濃姫と結婚する信長。

 

奇行はなおらず、守役の平手政秀が嘆いて自害。うつけのふりしてただけなのに…と信長、政秀寺を建てて弔う。

 

斎藤道三、息子の義龍に殺される。

 

織田信長、弟の信行を殺し、同族の織田信賢も討って、尾張を統一。

 

1560年、油断して進軍する今川義元。奇襲攻撃する信長。桶狭間の戦い。ほんとの場所はちょっと離れた田楽狭間。

 

今川の人質だった松平元康(のちの徳川家康)、今川義元に参陣してたけどなんとか岡崎城に逃げる。

 

1562年、お互いの勢力がぶつからないように信長と元康は清州同盟を結ぶ。

 

1564年、信長の妹市、浅井長政に嫁ぐ。遠交近攻。遠い国とは婚姻で手を組み、近くの国を攻める。

 

美濃を攻めるのに墨俣に城が必要。短期間で墨俣城を築いた木下藤吉郎がそのまま城主に。

 

稲葉山城に入城した信長、井之口の町名を岐阜に。中国の故事から、天下のもととなる町、という意。

 

1565年、すでに力がなかった13代将軍、足利義輝、家臣の松永久秀、三好義継らに殺される。

 

義輝弟の義昭、なんとしても将軍になるべく戦国大名に御内書を書きまくる。

 

なかなか将軍になれないまま、義栄(よしひで)が14代将軍に。

 

信長が義昭に助け舟を出す。