イギリス議会は女を男にし、男を女にする以外のすべてをなしうる。
エリザベス1世亡き後は、スコットランドの国王ジェームス1世がイギリス国王として即位。ステュアート朝の始まり。
イギリス国教会に属さないピューリタンたちはメイフラワー号にてアメリカへ渡る。
1642年、ジェームス1世の次の王、チャールズ1世、イギリス国内での内乱。チャールズ1世派と革命したい議会派。
11年、王が不在のまま親オランダ派のクロムウェルがやりたい放題。
カトリック教徒のジェームス2世が即位。圧政が元で、フランスへ逃れる。甥っ子と娘のウィリアム3世とメアリ2世がイギリス国王として共に即位。軍事衝突ナシの交代劇、名誉革命。権利の章典が制定され、議会の同意しない課税や法律、国王の勝手な処罰は認めない決まりに。
1770年、オーストリア、マリア・テレジアの娘、マリー・アントワネット、フランスの王太子ルイと結婚。1774年に、ルイ16世として即位。
1785年、首飾り事件。マリー・アントワネット、詐欺にひっかかる。黒幕は逮捕されるが、王妃の浪費癖が市民に嫌われる。
三部会、もともとあった議会制度を再開。聖職者、貴族、平民の代表で行われる。しかし、不毛な流れで、平民たちは独自の国民議会を結成。1789年、テニスコートの誓い。
バスティーユを市民が攻撃したのを発端にフランス革命が幕を開ける。国王夫妻はオーストリアに亡命しようとして結局捕まり、その後処刑される。