梅子の休日

ネタバレなしよ。

小学館学習まんが 世界の歴史13

イタリアの統一国家はできた。次はイタリアの国民をつくる番だ。

 

19世紀まで、イタリア半島は複数の国に分裂していた。

 

サルデーニャ王国で国王が勝手なことしないようにと憲法を定めることに。

 

カルボナリ、サルデーニャ軍を指導するグループ。フランス革命みたいになったらいやなオーストリアが軍を派遣してけん制。

 

中心部にいたマッツィーニは国外追放、青年イタリア発足。

 

オーストリアでも革命。サルデーニャ王国が参戦。でもオーストリアに敗北。

 

いつの間にやらローマ共和国誕生。でもフランス軍に敗れ、マッツィーニ、ガリバルディ共に国外逃亡。

 

1853年、クリミア戦争勃発。ロシア対オスマン帝国。フランスとイギリスはオスマン帝国応援。

 

ナポレオン3世、サルデーニャを助ける代わりに様々な土地要求。

 

ナイチンゲール、兵者病院を徹底的に清掃し清潔に保つ。近代看護制度の立役者。

 

ガリバルディ、2か月でシチリアの支配者に。サルデーニャ国王をイタリア国王に認める。

 

オーストリアプロイセンにどんどん侵攻。駐フランス大使のビスマルクを呼び戻し、プロイセンの首相に。必要なのは鉄(武器)と血(兵士)と演説。

 

伊藤博文ビスマルクの真似っ子で葉巻を吸うように。

 

デンマークホルシュタイン公国、シュレスヴィヒ公国、ともにドイツ系移民が多いため、デンマーク国王クリスチャン9世を認めないと反乱

 

デンマークプロイセンオーストリアの戦争。デンマーク敗北。プロイセンがシュレスヴィヒ公国、オーストリアホルシュタイン公国を領有。

 

改良された武器を持っているプロイセンオーストリアに戦争ふっかける。1866年プロイセン・オーストリア戦争プロイセン勝利し、プラハ条約締結。

 

南ドイツも統一したいビスマルクプロイセンが嫌われてるけど、共通の敵をつくることに成功。エムス電報事件。

 

1870年、プロイセン・フランス戦争

 

フランス軍の後ろ盾がなくなって、ローマ教皇バチカンの囚人と言い張り、1929年についにラテラノ条約締結でヴァチカン市国誕生。

 

ナポレオン3世、プロイセン軍の捕虜に。パリへの攻撃を続け、ヴェルサイユ宮殿プロイセン国王ヴィルヘルム1世が1871年に皇帝即位。ドイツ帝国誕生。

 

1871年、パリ市民はドイツとの講和に反対。自治政権をつくる。パリ・コミューン。でも2か月ほどで制圧される。

 

ドイツ帝国、ロシア、オーストリア・ハンガリー帝国同盟結ぶ。フランス孤立。