イタリアの統一国家はできた。次はイタリアの国民をつくる番だ。
19世紀まで、イタリア半島は複数の国に分裂していた。
サルデーニャ王国で国王が勝手なことしないようにと憲法を定めることに。
カルボナリ、サルデーニャ軍を指導するグループ。フランス革命みたいになったらいやなオーストリアが軍を派遣してけん制。
中心部にいたマッツィーニは国外追放、青年イタリア発足。
オーストリアでも革命。サルデーニャ王国が参戦。でもオーストリアに敗北。
いつの間にやらローマ共和国誕生。でもフランス軍に敗れ、マッツィーニ、ガリバルディ共に国外逃亡。
1853年、クリミア戦争勃発。ロシア対オスマン帝国。フランスとイギリスはオスマン帝国応援。
ナポレオン3世、サルデーニャを助ける代わりに様々な土地要求。
ナイチンゲール、兵者病院を徹底的に清掃し清潔に保つ。近代看護制度の立役者。
ガリバルディ、2か月でシチリアの支配者に。サルデーニャ国王をイタリア国王に認める。
オーストリアがプロイセンにどんどん侵攻。駐フランス大使のビスマルクを呼び戻し、プロイセンの首相に。必要なのは鉄(武器)と血(兵士)と演説。
デンマーク、ホルシュタイン公国、シュレスヴィヒ公国、ともにドイツ系移民が多いため、デンマーク国王クリスチャン9世を認めないと反乱
デンマーク対プロイセン&オーストリアの戦争。デンマーク敗北。プロイセンがシュレスヴィヒ公国、オーストリアがホルシュタイン公国を領有。
改良された武器を持っているプロイセン、オーストリアに戦争ふっかける。1866年プロイセン・オーストリア戦争。プロイセン勝利し、プラハ条約締結。
南ドイツも統一したいビスマルク。プロイセンが嫌われてるけど、共通の敵をつくることに成功。エムス電報事件。
1870年、プロイセン・フランス戦争
フランス軍の後ろ盾がなくなって、ローマ教皇、バチカンの囚人と言い張り、1929年についにラテラノ条約締結でヴァチカン市国誕生。
ナポレオン3世、プロイセン軍の捕虜に。パリへの攻撃を続け、ヴェルサイユ宮殿でプロイセン国王ヴィルヘルム1世が1871年に皇帝即位。ドイツ帝国誕生。
1871年、パリ市民はドイツとの講和に反対。自治政権をつくる。パリ・コミューン。でも2か月ほどで制圧される。
ドイツ帝国、ロシア、オーストリア・ハンガリー帝国同盟結ぶ。フランス孤立。