学を身につけたまえ、金持ちになりたまえ。
フランス革命後もまだ情勢が不安定なフランス。イタリアにいるオーストリア軍と戦うためにナポレオン・ボナパルト27歳、最高司令官に就任。
イタリア遠征の勝利後、エジプト遠征へ。イギリスの海軍提督ネルソンがオーストリアと同盟で巻き返す。
やってられないフランス政府にクーデター。
アルプス越えで私の辞書に不可能という文字はない発言。
1801年、ナポレオン、オーストリアと講和条約、1802年、イギリスと講和条約締結。
ナポレオン、中央銀行を設立、カトリック教会との和解、レジオン・ドヌール勲章創設、フランス民法典制定、教育制度の制定、税務署発足などなど、近代国家の基礎を整える。
1804年、ナポレオン皇帝に。自分で勝ち得た王冠だから自分が授けたいとジョセフィーヌ妃に王冠を与える。
結局王政に逆戻りでガッカリのベートーヴェンが昔はよかったなぁと交響曲第三番「英雄」を作曲。
1805年、トラファルガーの大戦でまたもやネルソン提督のイギリス艦隊に敗れる。
ナポレオン、弟をオランダ王に、兄をスペイン王に即位させる。ヨーロッパどころかロシアも東洋も家族経営したがるナポレオン。
ロシアがオーストリア、イギリス、プロイセンと同盟を結びフランスを撃破。ナポレオンは退位してエルバ島へ追放。
裏切りの天才、タレーラン、ルイ16世、総裁政府、ナポレオンを見限ったけど、フランスを裏切ったことはない。
ルイ16世の弟をルイ18世として国王に迎えようとするとナポレオン超復活。
1815年、ベルギーにてワーテルローの戦い、ウィーン議定書で締結されたイギリスとプロイセン中心の連合軍がナポレオンの軍勢を3日で大破。
ナポレオン、セントヘレナ島へ追放。
ルイ18世死後、弟シャルル10世即位。国民の不満を仕向けるためにアルジェリア侵攻。でも騙されない国民、選挙権を要求。
1830年、七月革命、フランス国民を弾圧。しかし軍が国民の味方になり、シャルル10世は退位してイギリスへ亡命。
イギリスの立憲君主をまねてルイ・フィリップが新国王に。選挙権はまだ一部の国民しか与えられておらず、ギゾー首相退任、暴動収まらず、ルイ・フィリップも退位しイギリスへ亡命。1848年、共和国設立宣言。
国営工事が微妙に失敗に終わるなか、ナポレオンの甥、ルイ・ナポレオンが大統領に。どさくさに紛れて皇帝制も復活。ナポレオン3世に。製鉄業、石炭業、機械工業の発展、パリの上下水道や道路の整備、パリで万国博覧会開催。
ナポレオン3世、クリミア戦争、アロー戦争、インドシナ出兵、イタリア統一戦争などを行い植民地を増やす。
綿花と銀を手に入れるためにメキシコ侵攻。オーストリア皇帝の弟マキシミリアンをメキシコの皇帝にさせる。メキシコ軍に敗北したマキシミリアン皇帝が死刑になってナポレオン3世もガタ落ち。名誉回復でプロイセンに戦争ふっかけて負けて捕虜になり退位する。