おたのみィ。
20年間、貯金を少しずつ引き出して生活していた正岡子規、そろそろ生活が厳しい。
「一の報酬で十の働きをするひとは百の報酬で百の働きをするひとよりえらいのぞな。」
「人間は友をえらばんといけんぞな。」ぞな、かわいいぞな。
維新後の日本の欧風化、先進国からも東アジア諸国からも好感持たれず。
話を、変えたい。シリーズ、「余談だが」。
政治家のブロマイド?いらんわー!
当時の北京の様子の衛生面の悲惨さよ。
小村寿太郎、ラットミニスターとのあだ名。ちょこまか動くのとその容姿からのねずみ公使。
日清戦争の頃までは日本馬。
高浜虚子、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)、下宿先をこっそり双松庵と名付ける。
文学熱もここまでくればもはや病いであろう。
伊東祐亨(いとうすけゆき・ゆうこう)、清国に明治維新を勧める。
従軍したものの喀血がひどい子規。
子規の人間的特徴は執着のふかさである。虚子。
「あしは俳句復興の松明になるつもりじゃ。」正岡ルフィ。
一流の軍人たるもの結婚するべからずを他人にまで強要してた好古、ついに結婚。35歳。東京に呼んだお母さんのためらしい。
アラスカを買わないか。1867年、ロシアがアメリカに720万ドルで売却。
真之は超読書家で、要点把握術に長けていた。
国家間の茶番はたとえ茶番であっても巨大な歴史をつくってゆく。
干し豆が好きというよりはもはや主食の真之。いつもポケットが干し豆でふくらんでた。
雑誌日本は正妻、ホトトギスは妾。そうなの。
つまりは運用が大事、勝てば日本の勝利。海外製の軍艦使ってもね。
真之、名文句は手帳に書き留める。手帳を失くす時もあるけど、いざという時思い出す。
日本人が集団で興奮する時、後世から見るとちょっと理解が届きかねる時がある。現代もたびたび起きるよね。
天津領事、伊集院彦吉、好古を好きすぎて1日2回駐屯司令部に来ることも。秋山見物だとか。自分で言ってる。
明治30年代、ミルクホール流行。牛乳注文すれば新聞読み放題。