汝(なれ)や知る、都は野辺の夕雲雀、あがるを見ても、落つる涙は。
ひばりさん、この気持ちわかる?焼野原になった京の都の無惨さよ。夕空にまいあがったひばりさん見て、涙がこぼれちゃうよ。by飯尾彦六左衛門尉。
室町幕府、義嗣か義持かの争いで、義持がむりくり4代将軍に。
やる気なくなって息子の義量(よしかず)に将軍職をゆずる。自分は出家。
義量、たよりなくてやっぱり義持権力復活。義量病死。19歳。
次の将軍職を決めないまま義持死去。
次期将軍はくじ引き(!)で義円に決定。還俗して義宣(よしのぶ)からの義教(よしのり)へ。歴代将軍でもっとも厳しい将軍に。
大飢饉やら重税やら借金がかさなって、正長の土一揆。
1439年永享の乱、関東管領上杉憲実(のりざね)と鎌倉公方足利持氏の仲たがいに幕府が乗っかって、足利持氏が敗れる。
結城合戦、結城氏朝(うじとも)対幕府。氏朝、持氏の息子の春王丸と安王丸を守るも敗北。
嘉吉の乱、義教、赤松満祐に討たれる。
ちょっとさかのぼって1428年。この時代ごろから、一般庶民にいたるまで酒を飲む習慣が増えてきた。
酒屋が大繁盛し、金を貸すほどに。金貸し業者は土ぬりの倉庫に質の品物を保管していたので、土倉とよばれる。
話もどって、幕府編。義教を暗殺した赤松満祐を討つために山名持豊率いる幕府軍が進軍。
次の将軍は義教の子義勝、9歳。その後亡くなったので、弟の義政が14歳で将軍に。
義政の母、日野重子、権力争いにぶいぶい言わせて、妹の富子を義政に嫁がせる。甥っ子と叔母さんの結婚かぁ。。
政治に興味がない義政、蹴鞠や建築、美術工芸品がだいすき。
富子はビジネスだいすき。
荒れる京。
将軍夫妻にこどもがいないため、義政の弟の義尋(ぎじん)を還俗させて義視(よしみ)と改名。次の将軍にと約束する。
富子に男子がうまれて、やっぱり後継者争いに。
義政の推し義視、細川勝元が後見人。
1467年、応仁の乱。10年つづく。
応仁の乱の最中に義政は息子義尚に将軍職をゆずったものの、のちのち義尚と仲たがい。
応仁の乱も終わり、義政新しい山荘つくりたい。雪舟にたのみたい。
雪舟、自分よりもいい絵師がいると、狩野正信を推薦。
1485年、義政出家。東山山荘が完成しつつあり、この時代の文化を東山文化とよぶ。このあたりから日本オリジナルの文化って感じで好きぃ。
相変わらずお庭だいすきな義政と、お金だいすきな富子。山城国一揆が起きる。
義尚病死。元気なくなった義政も、観音殿の完成を待たずして死去。のちに銀閣とよばれる。